労働契約に対する諸制度を基礎付ける事柄
1、概要
これら労働関係に関する法律は、私人間の労働契約関係に対して、様々な規制や保護を与えている。
しかし、なぜ労働関係に関する法律は、労働関係を形成する契約に介入することができるのだろうか。
こうした点から種々の考察をしてみたい。
2、自由とその制限
我々は、自由に労働契約を締結してもよいはずである。
しかし、それをしようとすると、各種の法規制が現れる。
そもそも、なぜ労働関係に関して特別な法が必要なのだろうか。
これについて、以下で各種の視点から述べる。
(1)契約自由の実質的確保の必要性
我が国の民法は、契約自由の原則を建前としている。
契約自由の原則とは、
- 契約を締結するか否か
- どのような相手方と契約するか
- どのような方式で契約をするか(書面でするか口頭でするか等)
- どのような内容の契約にするか
これら種々の事柄について、契約の当事者が自由に決められることを意味する。
しかし、労働関係における当事者の間には、現実の力関係等の差がある。
従って、一方の当事者が不利な内容の契約を承諾させられる恐れがある。
そのため、経済的関係で不利な立場に置かれる被用者側を保護するための法が作られた。
それが、労働法である。
このように説明される事が多いはずである。
(2)すごい会社員と八百屋さん
以上のように、確かに労働法は被用者の権利強化を図り、当事者の対等関係を回復するための法である、といえる。
しかし、単に経済的側面で見ると問題もあるように思える。
例えば、何千万円という給料をもらい荒稼ぎしている会社員と、町の小さな八百屋などの個人事業主を想起してほしい。
この2者を比較すると、どう考えても荒稼ぎしている会社員の方が社会的強者であるといえる。
しかし、労働法は、会社員などの被用者に対してのみ保護を与える。
ぎりぎりの経営状況の中で八百屋を経営している店主には保護を与えない。
この違いを正当化する理由は何であろうか。
(3)自己決定権
我が国の労働法制は、使用者と被用者の非対称性に着目し、被用者側を保護している。
そして、使用者と被用者の一番の違いは、自己決定権があるかどうか、ということである。
それは、労働契約の内容にもよるが、基本的には、雇われている会社員などの被用者は、使用者に命じられた事をしなければならず、自己決定権が大きく制限されているといえる。
他方で、八百屋の店主等の使用者は、会社の経営方針や資金をどう活用するか、新商品を仕入れるか、それとも開発するか等の事柄を、自由に決定することが出来る。
また、荒稼ぎしている会社員は、突然解雇されたり、望まない仕事を担当させられたり、転勤させられたり、自身の将来や今後についての自由が、労働契約により大きく制限されている(そもそも賃金決定権が被用者には存在しない)。こうした各種の制限は、使用者側には存在しない。
こうした、被用者の自己決定権が労働契約で制限されていることに鑑み、労働関係に関する種々の法律は、保護を与えているといえる。
従って、八百屋さんの店主と荒稼ぎしている会社員を区別している基準は、自己決定権に対して法的な規制を受けているか否かであるといえる。
3、まとめ
労働契約に対する諸制度を基礎付ける事柄は、当事者の実質的公平の確保であり、その中心概念に自己決定権が契約により規制を受けるという契約の構造があると考える。
4、参考文献
森戸英幸『プレップ 労働法[第5版]』(引文堂,2016年)15-16頁
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