ロボットの人権

書くことが特になかったので、ふと思いついたキーワードである「ロボットの人権」について適当に私見を以下述べる。

1、ロボット

まず、ロボットとは何だろうか。ロボットとは電子的機械の一類型であり、人間の工場での生産活動を補助したり、AIBOに代表される身近なコミュニケーションの相手でもある。これは、単純な動作を主とするものと、コミュニケーション等の複雑な動作を主とするものに大別することが出来ると考える。本稿ではロボットと人権というテーマを扱うものであるが、もっぱら複雑かつ高度な活動をするロボットの人権について論じたい。

2、人権

ところで、人権とは何だろうか。これには識者により様々な定義づけがあり一概に定義するのは難しいが、少なくとも普通の人間、すなわち自然人がこの世に生を受けたときから有する権利の総体であるとされていただろう。もちろんそういった権利を実物として私たちが有しているわけではなく、フィクションに過ぎないのだが、この概念は各種の身分闘争や権利闘争を経て社会へ広く浸透し受け入れられたといえるだろう。

その上で、生まれた時から有する権利の質や量に差異があり、質の悪い人権を持つ者と質の良い人権を持つ者で区別や差別をしてもよいということになったらどうするのだろうか。こうした問題へ対処するため、近代以降の人権論は単なる自然権に加えて個人主義の考えを取り入れた。すなわち、人権の核心は個人の尊厳であるとする。

個人主義の概念が中心に組み込まれたことにより、個人が幸福を追求していく権利や、他者と合理的理由なく不平等な差別的取り扱いを受けない権利や、個人の思想を他者から侵害されない権利や、個人の活動が合理的な理由なく害されないようにする権利等の概念が誕生又は進化していく(財産権は身分毎の財産という考えに基づき相当昔から存在していたそうです)。

3、人権の有無と保障の程度

この人権がある者に保障されるか否かという人権享有主体性の問題がまずあり、仮にその人権が保障されるとしてもどの範囲までの権利が保障されるのかについての権利保障の範囲論の問題が次にある。

では、まずそもそも人権がロボットに保障されるのだろうか。ロボットは人間により作られるという点で明らかに工作物である。そのため生命に由来する自然権は存在しない。よって、2017年現在の人権論では直接人権享有主体性はないのが結論である。

次に、ロボットの権利保障の範囲だが、これは例えば特許法や不正競争禁止法に基づく営業機密など知的財産権としてロボットの中身に対して法的な保護が与えられるかもしれないが、それはあくまで作成者たる人間の権利を守るためであり、ロボット自体に権利が保障されるわけではない。

4、ロボットと人間の人権

あくまでもロボットと人権を論じるならば、ロボットの行為により人間の人権が侵犯される場合に人の人権に基づき問題になるといえる。

我が国では、ロボットそれ自体ではないが、住基ネット訴訟等で情報通信技術を使い、個人情報を収集されることに対して対抗するなどがなされている。ロボットが活用するであろう情報通信技術は情報の複製流通をこれまでとは比べ物にならないくらい簡易迅速にするものであり、一度ネットワーク上に流出した個人情報を抹消することは困難である。したがって、個人情報保護のためプライバシー権等と衝突することになる。特にコミュニケーションロボットが収集分析した情報は個人のセンシティブなものも含むであろうし、そうでなくとも日常の行動追跡などがなされる恐れもある。

これらのことから、ロボットの活動により人間の人権が侵害されるとき「ロボットと人権」が問題となるといえる。

以上

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