読書メモ:持たざる経営の虚実
1,はじめに
昨日、日本経済新聞出版社から出版されている「持たざる経営の虚実」という本を読み終えた(以下「本書」と言う)。
本書の帯には「『選択と集中』は誤訳だった!?」と挑戦的な文言が書かれている。
平成の企業経営は「選択と集中」をスローガンに行われていたと私は考えている。
それは、バブル期に広げた事業領域のうち不採算領域を削り、収益性のある部門に経営資源を集中させ、組織体の収益力を向上させる、という経営方針である。
だが、本書は「選択と集中」という言葉が、経営「文学」として社会に流布されていると指摘する。
この言葉は、米国GEのCEOが述べたことである。
すなわち、「選択と集中」とは、将来、市場において上位で戦える見込みのある事業に対して経営資源を集中させることを意味する
それを踏まえると、我が国で見られる、本業だけに集中する行為は、本業に引きこもり、挑戦から逃げる態度そのものであり、適切な「選択と集中」がなされているとは言えない。
2,選択と集中を本当の意味で実施するとは?
(1)新規事業
選択と集中という経営方針は、先にも述べた通り、将来性のある事業に経営資源を集中させることを言う。
ここで、大事なことを思い出してほしい。
今ある手持ちの事業が将来性市場の覇権を取れる将来性がある場合、それに全てを注ぎ込めば良い。
しかし、多くの企業は将来性がある事業を持ってはいない。
すなわち、選択と集中を行うには、新しい領域へ進出することが必要であると言える。
(2)取引コストで企業行動を分析する
著者は企業買収等の専門家であるため、選択と集中に際して、企業は他の企業の事業を買収する手があると主張する。それはつまり、既存の事業と関連がある他社の事業を積極的に取り込むことである。
ここで、筆者は「取引コスト」という概念を出して説明を行う。
(ア)取引コスト
すなわち、「取引コスト」とは、「ユーザーの外部に存在する市場や企業から、部品や資材を調達するなど様々な取引の際に発生する種々のコスト(=手間)である」(本書87頁)。
この取引コストは「不確実性」が高まると上昇する。
例えば、PCの修理を私に頼む場合と専門業者に頼む場合、私のことを知っている人であれば、すぐに解決するだろう(嘘)。これを、専門業者に頼む場合、まずどの専門業者に頼むのかを調査する時間や手間が発生する。
これは、専門業者がそのメーカーのPCを本当に直せるか等の不確実性を解消するために、手間や時間という取引コストが支払われた例だと言える。
(イ)企業の存在理由
そして、取引コストは企業の存在理由を説明する。
すなわち、「企業とは『ユーザーが本来支払うべき手間の省略コスト』によって、その存在が支持されている。」(本書86頁)と筆者は述べる。
個人では容易にできないこと、作れない物を、安価で提供すること、それが価値のある事業なのだろう。
(ウ)取引コストと事業の買収
また、企業がある処理を内部で処理するか外部の他社へ発注するかの区別も取引コストにより説明される。
それは、自分たちで実施したほうが安く済む場合は、自分たちで行い、そうでない場合は他社へ発注する、という至極当たり前の結論である。
そして、企業は日々直面する取引コストを極小化することへの動機が生じる。
その結果、ある事業を内製化することで取引コストを減らせるのならば、他社の事業を買収する、という結論もあり得ることになる。
(3)コングロマリット化
選択と集中を本当の意味で実施していくと、成長性のある事業を多数抱え、種々の事業を執行する経営主体へ変化することになる。
例えば、我が国の大手商社は本業がないと言えるレベルでの経営多角化と多数の子会社を持つ企業集団となっている。
こうした、異業種も含めた多数の事業を抱える企業のことをコングロマリットと言う。
ありとあらゆる成長分野に手を伸ばし、貪欲に次の一手を打ち続けると、結果としてこうなるのだろう。
一般的にコングロマリットは効率が悪いと言われるが、不確実性の高い現代においては、ある事業で何かあった際に他の事業で損失をカバーできる利点は高まっていると言える。
個人の場合で考えると、日本語だけでなく英語もできたほうが、強い的な感じだろうか。
3,おわりに
本書を読んで、挑戦から逃げ安易な選択肢へ引きこもるな、というメッセージを感じた。
貪欲にあらゆる事業分野へ挑戦を行うことが、企業の持続可能性を高めるのだろう。
ただ、自分自身をよく知らないまま、あらゆることに手を出しても、何も得るものはないようにも思う。
しかし、様々なことに手を出し失敗や成功を繰り返すからこそ、自分が本当に向いていることなどが発見できるとも言える。
新規事業を執行できるかどうかって、変化する力の有無とも言え、責任と判断が問われる時代だなと思った。
ありとあらゆることができる可能性を手に入れたことで、決断と責任という概念を手元に得たのだろう。
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