小田急火災について思うこと

2017年9月10日に東京にて運行されている電車である小田急線が火災現場のすぐそばに緊急停車し、乗客を乗せたままの車両の屋根が一時炎上する事件が発生しました。これは主に3の段階に分けられます。まず、線路沿線で火災が発生しました。次に、火災の消防活動をしやすくするために現場にいた警察官が非常停止ボタンを押しました。その結果、車両が火災現場付近で緊急停車しました。幸い犠牲者は出なかった事件でしたが、いくつか思うことがあったため、ここに私の思考を残したいと思います。

電車停止時 運転士に火災認識なし(Yahoo news)

小田急線火災 消防の要請で警察官が停止ボタン押す (NHK NEWS WEB)

車外から延焼…想定外 現場脇に非常停止、あわや大惨事 (産経新聞)

凡庸な悪

この事件は犠牲者等を出すことなく収束しましたが、しかし大規模な組織である警察、消防そして鉄道会社の連携がうまくできなかったことが浮き彫りになったといえると思います。こうした大規模な官僚機構が時として意図しない以上の悪をなす可能性がある事をアメリカの政治哲学者は指摘しました。

なぜ現場にいた運転手さんは火災現場から乗客を乗せた車両を動かせなかったのでしょうか?

それは、車両の運行は運行指令所の指示に従いなされるのであり、現場の判断だけで動かすことが出来ないからです。おそらくこういうケースは通常は想定できないものであり、マニュアル等が整備されていなかったのだと思います。そのため、運行指令所が即座に判断を下すことが出来ませんでした。しかしその間にも火災現場のそばで乗客が取り残されているのです。

現代では当たり前のことですが、大規模な組織では、判断を下す人間と現場で作業をする人間を分けています。これにより道徳上の問題が生じ得ると思います。今回現場にいた職員の方はおそらく、このままでは乗客が危険な状況だと認識をしていたはずです。ですが、車両を動かすという決断をできませんでした。しかし仮に運行指令所からの指示が大幅に遅れた場合、多くの人々が犠牲になっていた可能性が十分にあります。

このように、通常の人間が構造的に恐ろしい悪をなす可能性があることを、凡庸な悪というのだろうと私は思います。

どうすればよいのか

定められた規則に従い職務を忠実に執行する通常の大規模組織、いわゆる官僚機構は構造的にこうした問題を抱えるそうです。私が思うに、現場の運転手さんが、「あ、やっべー、もえてるー、危険だしちょっと動かそう。運行指令所の方々は現場が見えないから判断が遅くなってるだけだろうし、勝手に動かしちゃえ。」という感じで、命令を待つことなく決断して安全な場所まで車両を動かしてしまえば良かったのだろうと思います。

命令に従い行動するということはとても大切なことですが、イレギュラーな状況下で命令を待つという思考パターンを採用することは根本的にリスクを増加させる行為だと考えます。そのため、イレギュラーな状況下では命令を無視し己の自己責任のもとで、危険を回避する行動をすることがおそらく必要なのだと思います。私が仮にその立場だったらたぶんできませんが。

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