時間潰しで書いた駄文

約55分の遅延があるためか、電車の来る気配が全くない。振替乗車の案内や、バス等を使っての移動等を選択するのが適切なのであろう。だが、今日一日それなりに遊び疲れているのにそういう面倒な事をしたくない。故に、電車が駅に来るまでの時間つぶしとして、本稿を記載する。
では、何を考えようか。まず思いつくのが、考えるとはどういう事なのかについて考えるという事である。

言語作用と図画作用

まず仮定として、言語を意味を持つ形に並べる事を思考と定義したい。それは、思考には言語作用が欠かせないと考えるからである。だが、空想や想像などのイメージに基づいた芸術家の行う知的活動は思考とは違ではないのか、そういう反論が考えられる。もちろん、こうした知的活動を思考と捉えても構わないと考えられ、最初の定義に誤りがあったといえる。

知的活動

では、より対象を大きくし、思考の要素は知的活動としてみたい。すると今度は知的活動の定義が問題となる。思うに人間の知的活動とは人体外に影響を及ぼさない精神的活動をいうものと考える。従ってその要素は、内面的作用に留まるものである。このような人間の内面作用が思考であるといえるだろう。

思考の核心

なるほど、内面作用として我々はありとあらゆる事を考える事が出来る存在である。その上で、思考の核心的部分は一体どのようなものであるか。先ほどは、言語作用だとしたがそれは誤りであり、かといって図画作用を加えてもまだ足りないだろう。なぜならば、人は直感という即座に物事を連想させる機能を有しており、これを含める事も必要だからである。

個人の唯一性

思うに、思考の核心は完全に同じ思考をする者が存在しないという点にあると考える。つまり、我々は似た物事を考えることはあっても、その思考のきっかけ、道筋、結論それら全てが完全に一致する者は存在しない。こうした個人の唯一性こそが思考の核心ではないだろうか。

反省

いや、ちょっとまて。思考=個人の唯一性などという意味のわからない論理展開をするな。個人の唯一性と思考が君の頭の中でどう繋がっているというのだ。思考に間違いがある。

思考は間違える

なるほど、全くもってその通りである。何を思い違えば思考=個人の唯一性などという事が言えるのだろう。
私も遊び疲れている上にようやく電車が来たのでそろそろこの思考を停止したい。
このような駄文にお付き合いくださりありがとうございました。

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